2005.08.16 (Tue)
走馬灯
今、NHKで「思い出のメロディー」が放送されている。
昭和四十年から五十年代の懐かしい歌の数々・・・。
不思議なものでそんな歌を聴いていると、若かりし頃の色んな思い出が「走馬灯」のように頭をよぎる
惜しまれながら亡くなって十八年も経った石原裕次郎の「夜霧よ今夜もありがとう」は私もカラオケでよく歌うが、特に私の家内は裕次郎の大のファンで、テレビに入ると今でも「くぎづけ」状態で見ている。
私は良く映画館に足を運んだものだった。
特に好きだったのは「時代劇」と「西部劇」、日活映画はあまり見なかったが、一人だけ強烈に印象に残る俳優がいたのを覚えている。
「赤木圭一郎」である。
彼は、石原裕次郎、小林旭につぐ日活第三のスターとして華々しくデビューしたものの、撮影所内でゴーカートの事故により早すぎる死を迎えた。
あるものは彼を日本の「ジェイムス・ディーン」としてその死を悼んだものであった。
彼のあの「都会的な憂いと哀愁」を感じさせる独特な雰囲気は男の私でさえ「心酔」させられ、当時買った彼のLPレコードは今も私の「宝物」となっている。
昭和四十年から五十年代の懐かしい歌の数々・・・。
不思議なものでそんな歌を聴いていると、若かりし頃の色んな思い出が「走馬灯」のように頭をよぎる

惜しまれながら亡くなって十八年も経った石原裕次郎の「夜霧よ今夜もありがとう」は私もカラオケでよく歌うが、特に私の家内は裕次郎の大のファンで、テレビに入ると今でも「くぎづけ」状態で見ている。
私は良く映画館に足を運んだものだった。
特に好きだったのは「時代劇」と「西部劇」、日活映画はあまり見なかったが、一人だけ強烈に印象に残る俳優がいたのを覚えている。
「赤木圭一郎」である。
彼は、石原裕次郎、小林旭につぐ日活第三のスターとして華々しくデビューしたものの、撮影所内でゴーカートの事故により早すぎる死を迎えた。
あるものは彼を日本の「ジェイムス・ディーン」としてその死を悼んだものであった。
彼のあの「都会的な憂いと哀愁」を感じさせる独特な雰囲気は男の私でさえ「心酔」させられ、当時買った彼のLPレコードは今も私の「宝物」となっている。
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